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エースパイロットを集めた部隊。第343空とJV44

 さて、紫電改に関係した話を。
 この紫電改ですが、零戦の正統後継機の「雷電」や「烈風」の開発が遅れていた代りに登場した機体ではあるのですが、誉21型という2千馬力近いエンジンの性能と相まって後継機としての期待がかかりました。

第343海軍航空隊と原田実

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 この最新鋭の紫電改を優先的にまわしてもらい、各戦地の優秀なベテランパイロットたちを集めて編成されたのが、有名な第343海軍航空隊(2代目)です。

 源田実大佐(右人物)の着想のもと、本土周辺の制空権を回復するための目的で初代である隼部隊を再編しました。今までの日本では珍しい2機1組の徹底した編隊空戦で、当時不良状態であった通信無線を改良活用し情報ネットワークを作り上げたのです。

 部隊の機体は、「紫電」と最新の「紫電改」、それに戦闘前の偵察を行う最速を誇る「彩雲」で編成していました。

Cap 626.jpg
紫電改

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以前製作した「彩雲」。これは762部隊ですね。

 部隊の名前も航空隊の剣部隊の他に、飛行隊にも通称の名前をつけて部隊の士気を高めます。

 301戦闘隊→新選組 菅野直大尉
 701戦闘隊→維新隊 鴛淵孝大尉  
 407戦闘隊→天誅組 林喜重大尉 
 偵察4飛行隊→奇兵隊 橋本敏男大尉 
 401戦闘隊→極天隊 浅川正明大尉 

 この部隊にエースとして名高い、菅野直杉田庄一などをはじめとしたベテランパイロット達が集まります。もちろん当時の状況ですので未熟なパイロットも多かったのですが、源田司令の情熱と実行力で機材や人材を優先的に集めたのでした。
 源田実という、かつてのエースで今は海軍航空隊のトップの一人が最前線で指揮をとる。最新の戦闘機と最速の偵察機に名高いエースパイロットを集めて、剣部隊、新選組などの明治維新のネーミングですから、これは、もう、人気が高いのもうなずけますね。
 また実績としても、終戦間際の完全劣勢の状況の中で米軍に対しての渾身の一撃を加えた最後まで活躍した部隊として有名なのです。

  有名な戦果は部隊の初陣でもある1945年3月19日で「松山上空の空中戦」と呼ばれています。この日だけで、米艦上機160機に対し紫電7機、紫電改56機が迎撃し、米軍機58機撃墜を報告します。
 実は日米双方にかなりの戦果誤認はありましたが、日本最後の大戦果となりました。
  交戦した米軍の戦闘機隊長は「かつて経験したことのない恐るべき反撃を受けた。東京方面で出会ったものよりはるかに優れ、巧みで攻撃的。彼らは良好な組織性と規律と空中戦技を誇示していた。彼らの空戦技法は米海軍のそれと似て、戦闘飛行の訓練と経験をよく積んでいる」と戦闘報告で述べています。

第44戦闘団とアドルフ・ガーランド

 さて、これと似た状況がドイツでもありました。こちらも有名なアドルフ・ガーランド率いるMe262ジェット機部隊であるJV44です。

524px-Jagdverband_44.svg.png

  JV44戦闘団の創設ですが、1945年の3月ですから敗戦のわずか2ヶ月前です。
 創設者は、政争に巻き込まれて、戦闘機隊総監解任されたばかりのアドルフ・ガーランド中将(左下人物)

Cap 632.jpg

 ヒトラーの思惑に逆らい、「Me262は爆撃機よりも戦闘機として使用するべき」という信念を実証すべくMe262戦闘部隊を創設してしまいました。

 人望のある元、エースパイロットですから、当時の優秀なパイロットたちに声をかけ、 最強の部隊をつくります。 その部隊員の大半が騎士鉄十字章受章者だったため、騎士鉄十字章戦闘機隊とも呼ばれた凄い部隊になりました。

 シュタインホフ(178機撃墜)、リュッツオウ(110機撃墜)の両大佐にベール中佐(220機撃墜)、バルクホルン少佐(301機撃墜)などの超高位エース17名に、ほぼ同数の戦歴のある下士官たちで50機なみの飛行隊になります。
 「隊に所属することそのものが名誉」「鉄十字章が部隊章」とまで言われた最強部隊が誕生します。ガーランド自身も中将の身分でありながら、パイロットとして戦いに参加します。

Cap 629.jpg
JV44は飛行場防空部隊のFW190D-9も有名。

 Me262の弱点である、低速の愚鈍性をカバーすべく着陸時の援護の部隊もありましたが、この援護部隊の隊長のハインツ・ザクセンベルク少尉でさえ、104機撃墜のエースです。

  JV44は、終戦間際の2ヶ月という短い期間でしたが、高速ジェット戦闘機Me262に加えて、R4Mという空対空ロケット弾で連合軍に絶大な効果を上げています。

 日独どちらも叩き上げであがったトップが
上層部の愚鈍な判断に我慢ならず、敗戦間際に自分の思うような戦闘部隊を創立し、最戦前に出て最後の一撃を加えたところが共通しているのは何故なのでしょうか。

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コメント 3

johncomeback

源田実氏は戦後参議員になられた方ですよね。
by johncomeback (2014-11-13 16:22) 

ロートレー

豊後水道上空の迎撃線で撃墜され、戦後海中から引き上げられた紫電改を、宇和島の記念館で見ることができました。
海面にたたきつけたペラ、破れ障子のような尾翼
ずしんとくるものがありました。
by ロートレー (2014-11-14 08:43) 

ワンモア

★johncomebackさま
こんにちは^^
スゴイ。よくご存知で。
戦後の日本の航空自衛隊の発展にも寄与した方で、
アクロバットチームのブルーインパルスの創設にも関わっているんです。

★ロートレーさま
こんにちは、宇和島記念館ですか。良いですね。
一度訪れたいと思っています。
by ワンモア (2014-11-15 13:49) 

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