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幸運な双発戦闘機、中島「月光」

 以前、双発戦闘機の悲哀ということをテーマに三回の記事をアップしたのですが、万能戦闘機という期待の元に、そのほとんどが失敗して、別の任務に回されたりしたなか、この中島「月光」はタイミングがよくて実戦の失敗がなかった幸運な飛行機でした。
 そんな夜間戦闘機「月光」の話を。

top.jpg
タミヤの1/48月光11型甲。名作キットだと思います。


元々は双発戦闘機として開発。


 夜間戦闘機「月光」の前身は、十三試双発陸上戦闘機といいます。
 昭和12年(1937年)、大陸での渡洋爆撃において、敵戦闘機の迎撃により九六式陸上攻撃機が大きな被害を受けた事に衝撃を受けた海軍は、2つの航空機の開発を命じます。
 それは、九六式陸攻より更に高速で重武装の攻撃機を、そしてそれを護衛する遠距離戦闘機です。

 より高速で重武装の攻撃機の案は「十二試陸上攻撃機」として開発され、後の一式陸上攻撃機となりました。映画『風立ちぬ』で堀越二郎の友人でもある本庄季郎が設計したことで知られていますね。
 もうひとつの長距離援護戦闘機の案ですが、これは
「十三試双発陸上戦闘機」と銘打たれ、中島飛行機に計画書が渡ります。
 この長距離援護戦闘機、ヨーロッパで主流だった双発戦闘機万能論に準じるものだったのです。すでにBf110が運用開始され始め、日本も遅れてはならじと開発を急いだのでした。
 昭和16年(1941年)3月に1号機が完成しますが、速度や航続距離は申し分ないのですが、運動性能がイマイチで不安が残ります。まあ、当然といえば当然ですよね。
 一方、陸軍でも海軍に先行して双発戦闘機を開発していました。担当は川崎航空機。キ45として開発された機体は様々な不具合を解決しつつ、キ45改、二式複座戦闘機「屠龍」として1942年2月にデビューします。

Ki_45_001.jpg
月光に比べて運用面で不運だった「屠龍」

 
 しかし海軍では、敵戦闘機との交戦に必要な運動性にこだわり、採用まで行きませんでした。さらには零式艦上戦闘機が活躍し始めると、零戦の持つ長大な航続距離があれば「双発でなくても大丈夫ではないか」ということになり、遠距離援護戦闘機としての
十三試双発陸上戦闘機は、取りやめになります。しかし、もとは戦闘機として開発した機体ですので、敵地への強行偵察にも耐え得る機体ということで、そのまま二式陸上偵察機として正式採用されるのでした。昭和17年(1942年)7月のことです。
 戦闘機としての任務が解かれた訳ですが、これが陸軍の「屠龍」との明暗を分けます。屠龍は、他国の双発戦闘機同様、単発戦闘機との交戦で惨敗を喫します。部隊の評判もよろしくなく、隼や鍾馗に機種変更する部隊まで現れてきます。
 十三式双発陸上戦闘機は、二式陸上偵察機として生まれ変わり戦歴を汚すことなく活躍できたのでした。

月光.jpg
月光の流線的なフォルムになるまで、上記のような段差が目立つ機体でした。
(上)2式陸上偵察機 (下)試作観測機型
(世界の傑作機「月光」より)



強行偵察任務が厳しくなった頃に夜間戦闘機へ


 二式陸偵は九八式陸偵に代り、ラバウルへ任務につきます。偵察機なので需要もそれほどありませんので生産数は伸びず全体で54機ほどですが、南方戦線で活躍をします。
 しかし、本来が戦闘機だけに機体強度は充分あります。偵察だけではもったいないと、航空本部では空技廠では転用可能な任務はないかとアレコレ模索し、雷撃や急降下爆撃などの種類も中島飛行機に考えさせるのです。

 この時期は米軍の攻勢が激しくなり、二式陸偵も撃墜され始め強行偵察任務が厳しくなってきました。また、夜間爆撃機に襲来してくる米軍のB-17の防御火器にも攻めあぐねている時期でした。
Cap 917.jpg 昭和18年(1943年)の初め、台南航空隊を再編成した251空司令の小園安名中佐は、十三試陸戦試作機に重爆撃機対策として自ら発案した斜銃を追加装備した改造夜間戦闘機を自らの部隊に配備させます。
 

 251空はこの改造夜戦と共に同年5月にラバウルへ再進出、同月21日深夜ラバウルに来襲した2機のB-17を撃墜することに成功、その後も次々と夜間爆撃に襲来するB-17を撃墜することに成功します。
 これにより、251空の保有する二式陸貞全機の改修許可と改造夜戦の正式化が決まり、昭和18年8月には、夜間戦闘機「月光」(
J1N1-S)が誕生することになるのです。
 折しも強行偵察任務が厳しくなってきた頃に、斜銃というアイデアによって再び脚光を浴びることになるのです。月光は運が良い戦闘機だったと思います。

J1N-14s copy.jpg
黒鳥少尉/倉本上飛曹が搭乗した月光11型甲


 月光は、二式陸偵と含めて477機の生産機数でしたが、日本防空の最後の抵抗を示した戦闘機としてその名を残すことになりました。
 
 スミソニアン航空宇宙博物館には、非常に状態のよい修理・復元された横須賀航空隊(ヨ-102号機)が展示・保存されています。タミヤのプラモデルなどもこの実機を参考に製作されています。

1024px-Gekko-1 copy.jpg
スミソニアン博物館に展示されている元横須賀航空隊所属機の月光11型
 右翼下は二式複戦「屠龍」の胴体
後方に見える尾翼はB-29(エノラ・ゲイ)のもの



<関連記事>
双発戦闘機の物語(全3回)
→双発戦闘機たちの悲哀
→一発逆転の人生〜夜間戦闘機たちの物語
→双発戦闘機たちの物語(最終回)

月光を誕生させることになった斜銃についてはこちらの記事もどうぞ 
→日本の斜銃とドイツのシュレーゲムジーク

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コメント 6

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
自然のエネルギーは本当に凄いですね。

月光は僕でも知っている有名な戦闘機ですね。
by johncomeback (2015-10-02 09:18) 

ロートレー

月光!
いかにも夜間戦闘機といったネーミングで美しい機体
後部座席の乗員が射手でしょうか
高度のチームワークが必要ですね!
by ロートレー (2015-10-02 11:15) 

アニ

月光もぜひ艦これに出て欲しいですね^^
by アニ (2015-10-02 17:34) 

タイド☆マン

スミソニアンには 
エノラ・ゲイも置いてあるそうで
機会があったら 行ってみたいですね
ワシントンなんて 行くコトはないと思いますが (笑)

戦後 
空自が 戦闘機の愛称を公募し
F-104が栄光 F-86が旭光に決定しましたが
世間の皆さまには 全く浸透しなかったそうで しかも
空自の隊員の間でも そんなに呼ばれなかったそうです

みなさん 
私のクイズには興味が無いようなので
コチラに答えを書かせて頂きました よろしくどうぞ☆
by タイド☆マン (2015-10-02 20:18) 

タイド☆マン

最後の有人戦闘機と言われた
F-104は マッハ2.2だそうなので 104に軍配があがります☆
by タイド☆マン (2015-10-02 20:22) 

ワンモア

★johncomeback さま
 そうなんですね。月光って一般の方も知られているんですね。ネーミングが綺麗だから?

★ロートレーさま
 特に日本海軍機の名称には決まりがあるのが秀逸だと思うのです。夜間戦闘機にはすべて”光”を付けるなんて。

★アニさま
 艦これには艦載機でなくても登場するのでしょうか^^
 あったらいいなぁ。

★タイド☆マンさま
 栄光も旭光も光が入っていますが、旧海軍の夜間戦闘機の名称ですよね。今回の記事にも関係があって、参考になりました^^
by ワンモア (2015-10-02 20:32) 

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