本日10月9日は、「道具の日」です。「どう(10)ぐ(9)」の語呂合せで、東京都台東区のかっぱ橋道具街が制定しました。分かりやすいですね。
かっぱ橋道具街とは、上野と浅草の中間、言問通りと浅草通りに挟まれた区画にある道具専門の問屋街で、主に食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などの道具が豊富に揃っている街です。
この記念日に合わせて街では、毎年この時期「道具祭り」を開催します。
自分にあったお店を見つける合羽橋の歩き方はこちらの All Aboutのサイトを御覧ください。
→かっぱ橋(合羽橋)の歩き方(基本編)
道具供養というモノに対する感謝
この街でもそうですが、全国では、使い終わった道具に対する「道具供養」を行っています。浅草寺の針供養がよく知られていますね。
日本では森羅万象に「仏神」が宿るとする世界観が定着していますから、古いものは石や大木などの自然のものであれ、人工のものであれ、それだけで神聖であり、神々しいとされてきました。
「山川草木悉有仏性」という言葉もありますが、 森羅万象すべてのものに神聖なものが宿っているという自然崇拝的な考え方は、まわりにあるものすべてに感謝ができて、気持ちを穏やかにすることができますね。
日光滝尾神社の杉の御神木
長く使ってきた道具を供養するなんて、日本人らしい考え方ですよね。
丁重に扱われ、付喪神となったものが、恩を返すなどした伝承もありますが、逆に粗末に扱ったり供養を絶やすと、これまた付喪神となり祟りや災いを起こすとも伝承されています。
百鬼夜行では鍋の妖怪も
現代では、付喪神になるまで長年大事に使い込む道具など、そんなになくなってきましたが、これもまた便利さと同時に何かを失っているのかもしれません。
iPhoneやパソコンの付喪神なんて、ちょっと想像もつきません(笑)
関係があるのか分かりませんが、新しい靴や鞄などを愛用しているものを新たに購入すると、今まで使っていたものが急にくたびれて見える時ってありませんでしょうか。
役目を終えて、なにかが抜けたような感じがしませんか^^
車やバイクも愛着ありすぎて、別れがちょっと辛い時ってありますよね。
管理人の父は、長いこと洋服の仕立て職人でした。ハサミ類も自分で研ぎ、何十年と使用していました。カッターも使用せず、小刀でしたし、高い工具だったと思います。
愛用していたハサミを手に取ると亡き父の想いが伝わってくるようで、おいそれと粗末にできない感じがしました。
使い捨ての廉価な道具よりも、愛着のある道具があるということは、それだけで生活が豊かになるように思います。
日頃、何気なしに使用している道具を見直すよい機会かもしれません。
自分でも引き継いで使うつもりで、形見のハサミなどを分けてもらってきましたが、よく考えたら私は左利きでした^^;
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2015-10-09 19:12
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コメント(2)
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物に神が宿るですか。
ボクもそう思うかな^^
ボクは特に包丁を大事にしていきたいと思いますよ(カッパ橋で購入したやつもあります^^)
by ちょいのり (2015-10-10 01:16)
★ちょいのりさま
包丁、良いですね。
長く使い続ける道具が自分も欲しいなぁと思います^^
by ワンモア (2015-10-10 11:47)