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あれから5年ですね。

 3月11日です。忘れもしない午後の2時46分。あれから5年。早いものですね。今まで記事にしてきませんでしたが、ようやくあの時のことも書く気になりました。さらっとですけど。
 うちの両親の実家は、岩手県の宮古市です。ご存知のように津波の被害が大きかった所です。一世帯の親戚を除いて、両親の全世帯が被害に遭い、うち一世帯は家ごと流されてしまい、家族全員が行方不明となって大変な状況でした。

 おじさんの一人は宮古市の消防団員で住民の避難の誘導にあたっていましたが、16名の仲間が避難誘導中に流されて命を落としたそうです。その後の捜索活動や復興で体調をすっかり崩してしまいました。

 これ、宮古市市役所からの撮影だそうで、何度もTVで放映されていた映像でした。母には場所がすぐ分かったそうです。知人たちの家はこの裏なので、何度もこの映像を見せられては、どうなっただろうか、無事に逃げられただろうかと毎回見ては泣いておりました。
 この先が宮古駅と漁港があり、親戚たちの勤め先や家々はこの先だったのです。

 無事な家を避難所として一ヶ月間暮らしていましたが、安否の状況確認や、携帯が一ヶ月近く入らなく母の心労はそれは大変なものでした。
 私も每日のように電話をするのですが安否の確認すらとれない状況だったのです。そこで、千葉の親戚が車で現地入りして、電波の届く山の頂まで登ってもらい、そこでようやく連絡がとれたのです。

 岩手県は津波、宮城県は地震、福島は放射能の被害が大きかったイメージがしますが、青森、茨城、栃木など東北3県だけでない地震や津波の被害もありました。
 その後も北関東の水害など大変な被害が続きましたが、自衛隊や地元消防団の救助活動、救援活動には本当に頭が下がる思いです。

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茨城・常総市の水害

 それから何度か、被災地には訪れたのですが、早くも津波で流された畑には雑草が生い茂り、その中に作業中のクレーンがまるで鮮やかに咲いた植物のように見えたのがとても印象的でした。コンクリートを割ってまで伸びてくる雑草たちのたくましさはスゴイものがあります。建物などの復興は遅れていても自然の復興はあっという間なのです。

 また地震の影響で、電柱や看板などが微妙に曲がっているので、車で走っていると平衡感覚に違和感を感じて気持ち悪くなってくるのです。人の感覚って意外と繊細だなぁと感じたものでした。

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 3年目には、「特別警戒区域」の福島第一原発の大熊町へ入りました。東京で避難生活をしているおばあちゃんが家財道具をとりに行きたいというので二人で向かったのです。
 息子さんは放射能を恐れて絶対に行かんと拒否していたので、今まで取りにいけなかったそうなのです。
 まあ、息子さんのご意見も、至極まっとうなものなので責めることは筋違いだと思いますが(おばあちゃんはこの腰抜けが!と怒っておりましたが^^;)
 誰かが拒否すれば、誰かがやらざる終えない仕事でもあるのかもしれません。
 原発事故の処理で、誰かが今でも命の危険を冒して仕事をしていることに感謝はしないといけないと思います。
 正しいと思って発言していることも、誰かの犠牲や苦労の上に成り立っていることを忘れなければ構わないとは思います。

 しかし、被災者の不幸を自分の支持する政党や政権打倒などの主義主張のために利用するのだけはちょと悲しい気持ちになりますね。ホントに被災者のことを考えているのか極めて怪しく感じます。

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 防護服も支給されましたが、簡易防護だけで作業しました。
 その時の様子はこちらの記事にしました。

→福島島原発の避難区域に行ってきた。東日本地震その1 その2

 いろいろな県のナンバープレートをつけたパトカーの数に圧倒されましたが、それと同時になんでこんなに警察車両が多いのだろうかと・・・。

大熊町内.jpg
大熊町は3月11日のままで時間がとまっているかのようでした。

 埼玉県のとある学校では、3月11日の卒業祝いの給食に赤飯が出る予定なのですが、これが不謹慎ではないかとクレームが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160310-00010001-saitama-l11 

 埼玉県の教員からのクレームだそうなのですが、それもどうなのかなと思います。「鎮魂の日であるので祝う日ではない」と問題視しているそうですが、これ被災地とは関係のない県の先生が言うにはちょっと頭が硬すぎるというか、ピントがズレているというか、被災者側としてはお願いだから止めてといいたいデス。

 せっかくのおめでたい「ハレ」の日なんですから生徒さんたちを祝って上げてください。
あえて言うなら「今日は卒業をお祝いしてお赤飯ですが、この日は東日本大震災があった日でもあるので、そのことも忘れないでください」と一言添えるだけでいいじゃないですか。

 でもお赤飯って普段と違う日に食べるものだそうで、地域によっては
不祝儀などの時に赤飯を食べ、供養する地域の習慣もあるそうです。だとするとこの教員の不見識ですね。
ヤレヤレです。┐(´д`)┌

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 よく「震災を風化させてはいけない」とか、色々と発言されることもあろうかと思いますが、震災の対策や備えなどはそうだとしても、被災者の方々のなかには、もう忘れたいという方もいるのも事実なのです。前を向いて頑張っている方もいらっしゃいますので、現地の方々の気持ちも考えて欲しいかなと。みんながみんな、「被災した我々のことを忘れないでくれ」とは思っていませんので。

 鎮魂の意は強制するものではありません。「鎮魂しないのは不謹慎だ」なんて暗黙の強要の場をつくらされるのはかえって迷惑だと思います。鎮魂の意を捧げたい方は一緒にしていただけると嬉しい。それだけなのです。
 安易に騒がれたくないと思っている方もいますので。
 もう過ぎ去ったことですので、いつまでも止まっていては仕方がありません。前に進むしかないのですから。

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巨大な城壁のような防潮堤工事(福島県)

 今も復興の遅れの対策問題や原発問題と絡めて政治問題化させて、与党野党すったもんだしていますが、そういう人間たちには、まったく関係なく、大熊町の被災地の桜がもうすぐ咲きます。

 見る人がいようがいまいが、咲く時に咲く。そういう桜に色々と教えられる感じがしますね。

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<関連記事>
→常総市の水害現場を見てきました。
→先月の北関東豪雨被害のその後

→津波防災の日と稲むらの火

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コメント 6

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

おっしゃる通りですね。
同感です。!!
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2016-03-11 07:44) 

kohtyan

あれから5年、今も行く不明の方が3000人近くもおられると
思うと、胸が痛みます。小さな子供達も流されてしまったこと、
忘れることはできません。津波とは、なんと恐ろしいものかと。
私は、阪神淡路大震災を経験しましたが、友人、会社の同僚
を亡くしました。20年経っても、あの激しい揺れは、夢に見ま
す。東北被災地に、早くほんとの春が訪れることを願っていま
す。
by kohtyan (2016-03-11 10:21) 

アニ

もう5年なのかまだ5年なのか考えさせられます
by アニ (2016-03-11 19:33) 

ちょいのり

思い出して気を引き締める日に徐々に移り変わる日でいいと思います(正直、極論ですが・・・)
勿論いまだに復興に至らないこと多々、難問難事答えが出てないことでもあります。
かといって前に進まないのではいけませんよね。
戒めの日と言っては語弊ありますよね・・・うーん・・・言葉を選ぶのも難しい。
関東大震災のように防災の日と後世の人たちに気付いてもらう日でもあってほしい。

学校の卒業を祝すのと同じ日だから委縮するのは正直論外だと思います(気持ちは少しわからなくはないけど気にし過ぎな気がする^^;)

この日を忘れたい人。忘れないで欲しいひと。

どちらにとっても大切な日。
『この日を教訓に』って言葉は嫌いですが、日本人として心にとどめておいて欲しい日だと思ってます^^


by ちょいのり (2016-03-12 03:02) 

意馬心猿

あの頃、阪神大震災を経験しておきながら、被災地に対して募金ぐらいしか出来ない自分が嫌になりました。

消防団に入るきっかけになったんですが、我々が活躍したら誰かの不幸なわけで、そう思うと「役立たず」と思われるくらいヒマであった方がみんな幸せなんだな~って感じで巡回とかやってます。

皆さん火の元、火の始末を忘れずに、お出かけは一声かけて鍵かけてですよ^^

赤飯で思い出しましたが、陸自の糧食の中で赤飯は腹もちがいいので人気メニューだったらしいですが、震災での活動中「赤飯を喰うとは何事だ!」とどっかからクレームが入ったそうです。ひょっとしたらもうメニューから消えちゃったかもしれません。

大事な事って人ぞれぞれあるんでしょうけど、やはり卒業式は卒業生を主役として欲しいですね。3月11日に祝い事をするのは非常識ととするのが大多数なら祝える日にやるべきだと思います。
by 意馬心猿 (2016-03-12 12:02) 

ワンモア

★なんだかなぁ〜!! 横 濱男さま
 こんばんは~。ありがとうございます。

★kohtyanさま
 阪神・淡路大震災も痛ましかったですね。私も炊き出しと救援物資のボランティアに参加しました。今回は被災地のエイアが広すぎて大変ですが、また参加したいと思っています。

★アニさま
 そうですよね。もうなのか、まだなのか。茨城栃木は水害も強烈でしたね。

★ちょいのりさま
 うちの近くの神社の鳥居も修復と立て直しのことが石碑に刻まれていました。何十年後には歴史の一文として子や孫、その子孫たちに語り継がれていくんだろうなと思うと、乗り切っていける気がするのです。時間は経っていくものですので。でも埼玉の赤飯の件は勘弁して欲しいです( ˘•ω•˘ )

★意馬心猿 さま
 こんばんは~。赤飯のメニュー無くなったみたいですよね。クレームでなくなるのはとても悲しいです。腹持ちも良いので自衛隊員にも評判だったと聞いています。

by ワンモア (2016-03-12 20:23) 

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