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海軍の零戦(三菱)と陸軍の隼(中島)どちらが強かったか?

 8月はブログ名のヒコーキ工房から脱線して、毎年恒例の奇譚・怪談話を特集する予定です(^^)。なので、その前にヒコーキネタを片付けちゃいます。
 産経新聞に興味深い記事がありましたのでご紹介。零戦と隼がどちらが優秀だったか、実際に空戦をさせてみたという記事です。

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「零戦」と「隼」、どちらが優秀な戦闘機だったか? 実際に戦わせてみた
 零戦と隼は、太平洋戦争前のほぼ同時期に開発が始まった。両機は列国戦闘機を凌駕する運動性能と長大な航続距離が要求され、同型式のエンジンを採用したため、似通った性能とスタイルになった。それは設計上の必然であった。交戦した米軍は、しばしば両機を混同していたほどである。

 ではそうなると、「もし零戦と隼が戦ったら、どちらが強かった?」という疑問がわくのも当然。

 そこで強烈なライバル意識が介在する帝国海軍と帝国陸軍は、面子は賭けるが記録には残さない、非公式な“手合わせ”(模擬空戦)を実施した。その結果、全般的に零戦の方がやや優勢だったと伝えられている。

→http://www.sankei.com/premium/news/170805/prm1708050011-n1.html

 この記事では更に、アメリカで零戦と隼を編隊飛行させて撮影したパイロットの証言として、「零戦は空気抵抗が小さいせいか、スピードが乗って減速しづらかった。隼を追い越しそうになり、編隊を組むのが難しかった」という話が紹介されています。
 

”優秀な戦闘機”というのは定義が難しい

 何を持って優秀な戦闘機というのか?。その定義は実は大変難しいのです。
 モノを開発するにはその製作目的が必ず存在します。戦闘機という兵器であれば、軍がクライアントとなり「こういう要求の性能のモノを作ってくれ」という注文をしてきます。例えば「格闘戦重視にしたい」とか「長距離飛行ができるものが欲しい」とか「とにかくすぐに迎撃に上がれる火力の大きいものが欲しい」とか。
ですので、クライアントに先見の明がないと駄作機が生まれてしまうことも。
 クライアントとは顧客の事を指しますので、顧客の要求以外のものは製造しないのが原則です
(たまに、技術者の方からとんでもないものが出来て、売り込みをかける場合もある)。頼んでいないのに要求以外のものを作るとかえって怒られます。
 零戦にはパイロットを守る防弾装備がなかった話は有名ですが、それは海軍が「必要ない」と判断したからでした。
 性能を上げるのに数グラム単位の軽量化の戦いを繰り広げている技術者にとっては、100kg近い防弾装備を付けるのは戦闘機の性能を落とし不採用になるという命取りになりかません。
 人命軽視との批判もありますが、
パイロットは貴重な兵力ですので人命は戦力の一つとして違う意味で大事にされていました。愚鈍になり敵の弾に当たる確率が高くなるが防弾装備をとるか、敵弾をサッとかわす空戦性能をとるか。資源の乏しい日本では格闘戦重視にならざる負えなかった面もあろうかと思います。

 また戦局の状況によってもその戦闘機の評価は変わります。
sh 17.jpg
増槽なしの零戦の作戦行動範囲(広すぎ!)
 ドイツのメッサーシュミットBf109という戦闘機は元々は欧州大陸での戦争を想定して開発されていましたので、長距離飛行は想定していませんでしたし、クライアントの要求にもありませんでした。なので、戦場がドーヴァー海峡を超えたイギリス上空の戦い(バトル・オブ・ブリテン)に移ると、その航続距離や戦闘時間の短さが仇になり敗戦の要因ともなりました。これは、ドイツ上層部というクライアントの先見の明がなかった例です。
 また、昼間の戦闘では役立たずでも、夜間での爆撃機の迎撃にはその重武装により優秀な戦闘機に生まれ変わった双発戦闘機たちもいます。

→もしバトル・オブ・ブリテンに零戦が投入されていたら?
→双発戦闘機たちの悲哀(全3回)

 性能が良くても実際に戦局に影響を与えなければは無用の長物ですし、生産に時間やコストがかかっても優秀とは言い難いです。
 兵器という存在を考えた場合、採用されるために、製作行程が複雑でも優秀な性能を引き出すか、また、ある程度の性能は犠牲にしてでも、いかに生産効率がよいものが作れて戦場に送り出せるか。各国の技術者たちはこういう視点で必死になる訳です。

零戦を生み出した三菱と中島飛行機の隼

零戦と隼.jpg
(上) 一式戦「隼」と(下)零式艦上戦闘機
同じエンジンなのに、その違いがよく分かります。

 零戦は三菱航空機の堀越二郎(1903〜1982)が設計主任でした。かたや一式戦「隼」は中島飛行機の小山悌(1900〜1982)が担当しています。
 

中島知久平伝
日本の飛行機王の生涯
(光人社NF文庫)

 当時の中島飛行機は、東洋最大の航空機メーカーでした。創業者は中島知久平氏(右人物→)。
 新鋭の三菱航空機よりも規模も大きく、手がけている航空機の開発の種類も多く、製造のノウハウも蓄積されていたと思います。

 こういう大手のメーカーに対抗して競争に勝つには、如何に優秀な航空機を開発するかが必須になります。
 こういう背景もあって、あの零戦が生み出されました。それは帝国海軍という無茶苦茶な要求をするクライアントのニーズ以上のものを開発したといえます。

 見事に採用され零戦ですが、自分たちの名古屋工場では生産が間に合わなく、
ライバルにあたる中島飛行機も生産を担当することになります。その数、実際に生産された零戦の総生産機数の2/3にもあたりますので、中島製の零戦の方が戦場では多かったようです。この両社の違いもマニアの方は分かるのですから凄いものですね(^^)

 簡単な諸元をまとめてみました。

 零戦と隼の性能諸元
  零式艦上戦闘機  一式戦「隼」 
初飛行  1939年4月 1938年12月
全長
9.05〜9.12m
8.92m
全幅 11〜12m 10.837m
翼面積 21.3〜22.4㎡ 22㎡
翼面荷重 107.9〜128.3kg/㎡ 117.7kg/㎡
自重
(全備重量)
1,754〜1,856kg
(2,421〜2,733kg)
1,975kg
(2,595kg)
生産機数  約10,400機 約5,800機
エンジン 栄12(940hp)
栄21(1,150hp)
ハ25(940hp)
ハ115(1,150hp)
武装(初期) 7.7mm×2
20mm×2
7.7mm×2
武装(後期) 52型甲乙丙で違いあり 12.7mm×2
最大速度 533〜565km/h 515〜548km/h
航続距離
2,222〜1,921km
1,620km
増槽装備 3,350km 3,000km


 エンジンは海軍と陸軍で呼称が違うだけで、栄12型=ハ25、栄21型=ハ115です。こうして較べてみると、全長、全幅、エンジンなどはごぼ同じといってもいいですが、武装の違いが大きく異るのがわかります。
 航続距離が零戦の方が長いのに比べ重量が軽いのは、如何に軽量化に苦労したのかが伺いしれますね。その分、製作の行程も大変で、「米軍機の4倍も時間がかかる」とは、マニア向けに零戦の新造作業を行っている米レジェンド・フライヤー社のコメントです。
隼と零戦_02.jpg
(上) 一式戦「隼」と(下)零式艦上戦闘機
翼型が全然違いますね。隼の直線翼は疾風にも引き継がれています。

 一式戦「隼」は、大手中島製ということで、零戦には性能的にはやや劣るとも生産行程に優れていました。しかし隼でさえも、流石に武装が7.7mm機銃2門や12.7mm機銃2門だけでは厳しいものがありましたので、後継機を続々と開発し、実戦に投入していきます。
 海軍が零戦の後継機開発がまったく進まなかったことに比べ、陸軍は一式戦「隼」、二式戦「鍾馗」、三式戦「飛燕」、そして日本軍最良の戦闘機とまで言われた四式戦「疾風」を毎年送り出すことに成功しています。

零戦vs隼の歴史はミツビシ vs SUBARUに受け継がれている

  零戦vs隼の構図は、三菱の堀越vs 中島の小山という形にもなり、その後の後継機開発は、三菱が零戦→雷電→烈風という流れに対し、中島は隼→鍾馗→疾風ともなります。
 中島が陸軍機を毎年順調に開発していったのに比べ、海軍は後継機に苦労したのは両技師のバックボーンによるものも大きいといえます。
 中島は陸軍機以外にも、海軍機で、月光、彩雲、天山なども手がけていますので、人材や開発力などの総合力では中島の圧勝といえましょう。
中島飛行機.jpg

 戦後は、その規模の大きさからGHQに徹底的に解体されて、三菱よりも弱体化してしまったのは歴史の皮肉ともいえそうです。
 両社は戦後は富士重工と三菱自動車工業に生まれ変わり、SUBARUレガシーやパジェロなどの名車を生み出し、ライバルになります。無茶なクライアントはいなくなりましたが、今度は目に見えない購買層が相手となる訳です。
Cap20116-34837.jpg
 余談ですが、一式戦「隼」は日本軍以外の軍隊で、最も運用された戦闘機でした。
 大戦中には「友好国」であった満洲国軍やタイ王国軍に供与され、第二次大戦後も数年間、アメリカ製戦闘機が配備されるまで使用されていました。
 また外地で終戦を迎えた一式戦はフランス軍、インドネシア軍、中華民国軍(国民革命軍・国民党軍)、中国人民解放軍(紅軍・共産党軍)、朝鮮人民軍に接収された上で使用されています。扱いやすい機体であった証拠ともいえますね。

 

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来たよ(34)  コメント(7)  [編集]
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コメント 7

ys_oota

性能をとるか品質をとるか?その後の三菱自動車とスバルの社風を決定づけたのかもしれませんね。
by ys_oota (2017-08-08 00:43) 

ロートレー

富士重工の前身が中島飛行機だったことは知っていましたが、三菱航空機を凌ぐ大メーカーだったのは知りませんでした。

by ロートレー (2017-08-08 07:00) 

johncomeback

スバルファンは徹底してスバルですよね。
僕が最初に買った車はスバルFF-1 という幻の名車でした。
by johncomeback (2017-08-08 10:46) 

ワンモア

☆ys_oota さま
 こんにちは〜。社風ってありますよね(^^)最近のSUBARUは盛り返しているようですね。

☆ロートレーさま
 中島飛行機は大きすぎて解体されてしまいましたね。航空機産業でも三菱、川崎、新明和などに水を開けられてしまいました(´・ω・`)。

☆johncomebackさま
 なんか、Macintoshファンに近いものを感じます(笑)。FF-1良いですね!私はレオーネ・クーペでした(^^)珍しいタイプだったんですよ。

by ワンモア (2017-08-08 10:54) 

caveruna

ごめんなさーい、時間がある時にまたゆっくり読みます^^
by caveruna (2017-08-08 13:53) 

(。・_・。)2k

7.7mmじゃあなかなか相手は落ちなかったんじゃないんですか?
20mmとじゃあ全然違いますよね

by (。・_・。)2k (2017-08-08 14:57) 

ワンモア

☆caveruna さま
 仕事中のご訪問、ありがとうございます(`・ω・´)ゞ
 怪談特集、はじまりますよー(笑)
☆(。・_・。)2kさま
 おっ、お詳しいですね。流石男性。せめて12.7mmはないと相当キツかったらしいです。

by ワンモア (2017-08-08 15:47) 

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