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あの世に対する考え方〜お盆の最後に

 さて、ここ一週間続けてきた毎年恒例のお盆の奇譚・怪談特集も今日で最後です。ここ数日、段々と怪しい内容のブログになっておりました(;^ω^)
 昨日から強制的に仕事モードにならざる負えなくなってきましたので、ビジネスマンに戻りましょう。非・日常が日常になると色々とおかしいことになってきますので。
 

信じるということ、信じないということ

 皆さんは心霊現象とかは信じていますでしょうか。心霊現象に関しては私は基本「懐疑派」、正確には「信じたい派」です。
 誰もが見るわけでないし、科学的でないという知人もいますが、仮説→検証のプロセスの、まず仮説が「いるか、いないか」ですので、仮説から否定する考え方も科学的でないと思いますので。ですので「いるかもしれない」という態度で調べてみるのが好きなのです。
 ちなみにオカルトとは本来は「隠されたもの」という意味を指すものでした。科学の対極にあるような扱い方をされていますが、オカルトは「現段階の科学では解明できないもの」という分野で、学問の対象にあるのです。
 
今は解明できなくても将来は解明出来るかもしれない。そういう謙虚な姿勢が真の科学者のあり方であると思います。
 現に量子力学の世界においては、電子の構造モデルは私たちの時代に習った粒子ではなく、観測によって変化する雲のような存在(いわば幽霊のような)であると認められはじめているのですから。
Cap 817.jpg
昔ならった科学の常識は変わってきています。
→量子の世界で起こる不思議な話。シュレーディンガーの猫

 よく頭から「あの世なんかあるわけない」「死んだら終わりだ」と頭から否定する人もいますが、そういう人は「否定派」というより、「考えたくない」という「思考停止派」に近いのかもしれません。

 「幽霊の存在を科学的に証明をした人はまだいないが、存在しないということを完全に実証した人もいない」という段階ではないでしょうか。

現代の標準的な葬式.jpg

 

怪談には、慰霊という側面もある 

 「死んだ人のことを怪談にするなんて、故人に対して不謹慎である」という意見もあります。阪神大震災でも東北大震災でも同様の事が言われて自粛されていたこともあります。
 でも、二、三年も経ってくると人の口に戸は立てられぬ」のことわざ通り、チラホラと不思議な話が囁かれてくるもんです。
 身内や親しい人の突然の死別にあの世の存在を認めたいという人も多いと思います。現に私が接してきた方々の中には、奥さまやご主人が亡くなるまでは、あの世なんか信じていなかったし、考えてもいなかったという人も多いです。
 あの世や神とかという存在は人の持つ弱さが生み出した妄想の類で、それを信じて行動に縛りをかけるのは「迷信」と一笑に付されてしまえばそれまでですが、心情的にはものすごく理解できます。

 父は無神論者で「人間は死んだら終わりである」という考えの持ち主でしたが、晩年は自分の死を恐れていた節がありました。自分が死ぬことは想像したくないのか、終活は一切やらず死後の相続の件とかで大変困りました。かたや母は存命中ですが、霊魂の存在というものを信じ、伝統的な迷信の中に生きている人でもあります。母は常に自分の死と向き合って準備をしております。どちらが穏やかな死を迎え入れられるかというと、それはやはり母的な考え方であろうなぁと思います。
 
 話が少しズレましたが、お葬式でも献杯の後などによく行われる、死んだ人の人を思い出して語るというのは故人の霊を慰めるという側面を持つと思います。
 これは日本文化に根付いていて、室町時代の「能」のなかの「平家物語」などは、合戦で不幸な人生を送った死者たちの一番心がえぐれている部分を上演し、観客がそれに対し涙し同情することで、その死者の魂を慰撫してあげて成仏させる意味があるそうなのです。平家一門の怨霊鎮めが目的なのですね(『平家物語の怪』井沢元彦著)。

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能面の演者は死者を象徴しているとされます。


 こういう話を読むと日本人は霊魂の存在を信じる信じないという次元ではなく、当然のものとして共に生活していたんだなぁと思います。そして、古くから人間の心理というものも深く理解していたんだなぁと関心せざるおえませんでした。

 怪談も四谷怪談などを始め、演芸として夏の風物詩のようになっていますが、これもまた、能に通じるものがあると思うのです。
 不安や恐怖というものは、心に強烈な印象を残します。なかなか忘れるものではありません。少し怪談的な要素も入れ、その人のことをいつまでも忘れないで語りついでいくということも立派な慰霊のひとつであると思います。
 そしてこの世だけではない何かがあるということは、慢心しがちな私たち人間社会に対し、謙虚さを教えてくれる意味もあるのかなぁと感じる次第です。

 以上、長きに渡りましたが、今年の怪談・奇譚特集を終わりたいと思います。お付き合いくださりありがとうございました。

S君にまつわる後日談

 あ、最後に、今回の特集の締めに相応しいエピソードを。
 昨日の送り盆の日に、急遽仕事が発生しました。法事の後にトラブル処理のために仕事の資材(パソコン)預かりと打ち合わせのために家の側まで来てもらいました。その帰り道の事です。
 渋滞を避けるために、わざわざ裏道を選んで通ったのですが、そこでも渋滞で迂回せざるおえませんでした。いつもとはまったく違う道を走る羽目になり、見慣れない道に迷い、カーナビで最短コースを選び直して走り初めてすぐです。大きな国道のファミレスの前に出ました。そう、ここは、前々回のS君にまつわる話で紹介したファミレスです。(→バイク事故死したS君にまつわる話)
 なんという偶然!あの一件以来一度も来たことはなかったのですが、何十年も心に閉まっていた内容を記事にしたその数日後に、ここを通ることになるとは。そして、この道の先には。そう、S君の事故現場です。仕事のトラブルが起きなければこの日は電車でしたのでここを通ることは絶対になかったのです。これも自分の心の片隅に残っていた思いが引き寄せたのかもしれません。なんとも不思議な気持ちになりました。

 当時、まだ十代だった頃にお別れすることになったS君。数十年の時間を超えてまた会えたような気持ちになりました。

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コメント 4

caveruna

特に信じていなくても、信じざるをえない事もあります。
うちのばあちゃんは、息を引き取ったとされる時刻に、
自分の実家と、仲の良かった友達の家に無言電話をかけていました!
無くなったことを電話した時に、何時に亡くなりましたか?と聞かれ、
「その時間に電話が鳴って、出たけど切れたと・・・」
午前二時頃でした。
私と母は、知らずに隣で寝ていて、朝五時に亡くなっている事に
気付きました(苦笑)
でも、誰にも言っていないのですが、その時間、
大きい雷が鳴って、もしかしたら・・・と思ったのですが、
怖くて確認出来なかったのです。おばあちゃんごめんね~
by caveruna (2017-08-18 16:08) 

ワンモア

☆caverunaさま
 こんばんは〜貴重な体験談をコメントくださりありがとうございます(^^)おばあちゃんがお別れの電話をかけてきてくださったのかもしれませんね。私、こういう霊の存在があるかどうかの以前に、人としてのつながりを感じさせる話がとても好きです。ブログやっていてよかったなと感じる瞬間です。コメントありがとうございました(^^)
by ワンモア (2017-08-18 20:36) 

caveruna

追記
実際その話を聞いた時、
怖いとは思いませんでした。
それより、おばあちゃん、
電話してお別れ言いたかったのか!と思って涙が出ました^_^
by caveruna (2017-08-20 09:34) 

ワンモア

☆caveruna さま
 そうですよね。私も自分が死ぬ時はお別れの挨拶をしたいなぁと思います。願わくばそういうのがキャッチできる心境でありたいと思います。「私には霊体験がない」という人も、こういう話をしていると「そういえば・・・」と話し始める人もけっこういらっしゃいます。いいお話、ありがとうございます(^o^)
by ワンモア (2017-08-20 11:41) 

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