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海に不時着した搭乗員たちを救え!ドイツ海難救助隊ゼーノートディーンスト〜その2

Seenotdienst.jpg

 前回の続きで、ドイツのゼーノートディーンスト(Seenotdienst:海難救助部隊)の話を。
ゼーノートディーンストはその存続期間の間に、数々の編成上、運用上、技術的な問題を克服し効果的な組織をつくることに成功しました。
 イギリスとアメリカ合衆国の航空関係指導層はドイツの成果を見ると、ゼーノートディーンストを見習って自国の救難組織を編成することになります。そして、それは戦後にも活用されることになっていきます。
 あらかじめ海上に敵味方なく救難者が活用できる救難艇の配置、そして赤十字マークをつけた水上機たちの救難活動で、ゼーノートディーンストは着実に成果を挙げていきました。
 しかしこともあろうにイギリスは、彼らの救難活動をスパイ行為を行っているとして攻撃をし始めます。

非武装の機体を攻撃し、捕虜を人体実験に

 もちろん、民間主導とはいえ、正式なドイツ空軍下に置かれたゼーノートディーンストは敵の組織です。赤十字を隠れ蓑にしてスパイ活動や情報収集を行っていると言われればそれまで。特にイギリスを国家滅亡の危機にまで陥れたドイツ空軍のパイロットたちの救難活動を人道的見地だからといって黙って見過ごす訳にはいかないのもイギリス側の人情でしょう。救助された彼らはまた武装をして自分たちに襲いかかってくるのですから。アメリカパイロットも撃沈や不時着水で洋上にさまよっている丸腰で無抵抗の日本兵たちを機銃掃射した話もかなりあります。戦争の狂気は人間の尊厳や人権などをいとも簡単に無視してしまうものなのでしょう。
 戦争がもし、枢軸国側の勝利で終わっていたら、これらの行為は戦争犯罪として糾弾されていた可能性はあると思います。
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 ただ、公平に、とある事実も記しておきたいと思います。それはナチス・ドイツの恐るべき人体実験です。
 ナチス・ドイツはゼーノートディーンストの救助に関する報告を受けていました。それは航空機の搭乗員が凍るような水の中から引き上げられた場合、20〜90分で意識を失い死亡するという救助虚脱という症状でした。ナチス・ドイツ配下の医学関係者は、どうすればこの症状を改善できるのか。人はどういう状態で生命の危機に陥るのか。これを実際の事故から統計を取るのではなく、人体実験でデータを集めようとする人体実験が行われたのです。
 それは、
ダッハウ強制収容所での囚人に対して行われました。囚人たちを遭難した時と同じ冷水状態に置き、その後、電熱寝袋でくるむ、ぬるま湯や熱い湯に浸す、数人の裸の女性と性交させるといった様々な方法で温めて分析し、データを集めたのです。
 この実験の過程で大よそ80から100名の囚人が死亡したと言われています。

人命を無視したこれらの人体実験が医学界に貢献した事実もあったのか・・・その貴重なデータ資料と引き換えに連合国と裏取り引きがあったという噂も出ています。

humanexperience_9.JPG
画像は、「Ranker」より

犠牲を出しつつも救助活動を行う

 しかし、現場の彼らはそういう事実を知らずに、目の前にいる遭難者を救助することに奮闘していました。
 やがてイギリス側の攻撃が増加するに従い、彼らもついに身を守るために武装をせざる負えなくなります。また目立つ白塗りの機体も運用地域に応じたカモフラージュ塗装を施すようになり、民間機の登録記号と赤十字のマーキングは放棄されました。そして救難飛行には可能な限り戦闘機の護衛がつけられることになるのでした。

  ドイツ救難救助隊はその犠牲を出しつつも活動し続けます。1941年5月には地中海のクレタ島起きで沈みつつあるイギリスの軽巡洋艦グロスターの生存者救出のためにDo24飛行隊が向かい、65名もの敵国であるイギリス海軍の兵員を救助しました。
全体の生存者が82名と言われていますので、約8割がドイツ側に救助されたことになります。
HMS_Gloucester.jpgクレタ島沖で沈没する英国海軍のグロスター。
闇に乗じて生存者を救出するための船が派遣されるのが海軍の伝統ですが、
救助派遣は行われず生存者の大多数がドイツ側に救助されました。

 ゼーノートディーンストの中には、約1,000回の救助活動が実施されたものの、多くの機体が撃墜される部隊もありました。その中には自分たちを救助してくれた飛行艇もあったことでしょう。
戦艦ローマからのイアリア海軍の兵員救助活動では5機中の4機が撃墜されるるも19名ものイタリア兵の救助に成功しています。

最後にして最大の救助活動

 戦局がドイツの不利な状況になるに従い、ゼーノートディーンストの活動範囲も狭められてきます。しかし、最後にして最大の救助活動が彼らには待ち受けていました。
 それはナチス・ドイツ帝国が崩壊間近になった1945年3月のことです。ドイツ配下にあったポーランドの都市、コシャリン。ここへソ連軍が攻め寄せてくる情報が入りました。都市コルベルクで戦いが始まると、
1機のゼーノートディーンスト所属機が孤児院からの救出活動を行います。向かった
ゼーノートディーンストの機体はドルニエDo24です。

Do_24.jpg
ドルニエDo24

 この救助は、今までの活動の中で最初にして最後の救助活動となりました。その人数は、小人99名と大人14名であったと言われています。しかし、あまりにも大人数で積載重量を超えたため、離水できず、海面上を跳躍、また滑走を行いつつ基地まで帰投するという離れ業を成し遂げます。さらに共に活動した6隻の船艇は3月17日と18日にコルベルクの埠頭へピストン輸送を行い、2,356名を避難させました。

 戦争の一コマではありますが、彼らの救助活動は赤十字の名に恥じないものであったのではと思います。救助する人間がどんな人間であれ、目の前に助けを求める者がいれば命を賭けて救助にあたる。ナチス・ドイツの指揮下であったにせよ、現場の隊員たちはそのような決意で立ち向かったと思います。ドイツ敗戦と共に海難救助隊は解体されましたが、彼らのノウハウは戦後の各国の海難救助に活かされることになりました。

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海上自衛隊 救難飛行艇 US-2


実際の救助活動(訓練)の様子はこちらで見ることができます。
https://youtu.be/4-2UAXblTUE?t=4m


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ゼーノートディーンストで活躍した航空機

・アラド Ar 196    
・アラド Ar 199    
・ブレゲー Br.521 ビゼルト    
・カント Z.506  
・ドルニエ Do 18    
・ドルニエ Do 24   

・ハインケル He 59
・フォッケウルフ Fw 58   
 ・ハインケル He 114 

・ハインケル He 60  
・ユンカース Ju 52

・ハインケル He 115   
・ユンカース W 34
・Fw190(護衛)
数多くの水上機が使用されました。


<参考文献/サイト>

海難救助部隊の書籍のレビュー
→TAILS THROUGH TIME The Luftwaffe Seenotdienst(英語サイト)
ナチス・ドイツの人体実験
→HOLOCAUST ON TRIAL(英語サイト)



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来たよ(30)  コメント(6)  [編集]
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コメント 6

caveruna

出た!人体実験!
もう二度とあってはならない・・・
by caveruna (2017-09-01 16:17) 

johncomeback

拙ブログへお祝いコメントありがとうございます。

ドイツ人と日本人は似た気質と思っています。
上層部の思惑とは無関係で現場は懸命に働きます。
by johncomeback (2017-09-01 21:15) 

ぼんぼちぼちぼち

あっしも人体実験はあってはならないと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2017-09-01 21:44) 

ワンモア

☆caverunaさま
 人体実験はアメリカでもかなり行われていたんですよね( ˘•ω•˘ )
 人権や尊厳は当時は国家の下で黙殺されていたと思います。
☆johncomebackさま
 ドイツ人と日本人の気質は似ているとか言われますよね。私もそう思います。フィンランドとも似ているようですよ。
☆ぼんぼちぼちぼちさま
 こんばんは〜医学の分野で必ず倫理的に是非が問われるのがこの人体実験ですよね・・・私も大勢の幸福のために個人が犠牲になる考え方はまずいと思います。これもまた人間のエゴなんでしょうが・・・。

by ワンモア (2017-09-01 22:22) 

ys_oota

撃墜されても敵も味方も関係なく救助するなんて、よほど強い信念がないとできませんよね。何がそこまで彼らを突き動かしたのか。ぜひ映画化してほしいなぁ。
by ys_oota (2017-09-02 23:50) 

ワンモア

☆ys_ootaさま
 そうなんですよね。色々と調べてみたのですが、淡々と救助した事実だけが述べられているばかりで。職務に忠実なドイツ人らしいですよね(^^)
 
by ワンモア (2017-09-03 10:30) 

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